2014年大晦日
2014年大晦日。
今年も、私事でバタバタしっぱなしで、あっというまに年末になっていました。
昨年あたりから、人生の何回目かの「修行期」に入っている私です。
そんなこんなで(って、どんな?ですね^^;)、昨年よりもさらに時間的に、また気分的にも写真の撮り歩きをする余裕がなく、展覧会や映画もほとんど観に行けませんでした。あーあ。
自分のブログ更新は滞りがちでしたが、仕事の合間に他の人のブログやSNSの投稿を覗いては、なごまされていました。
何気ないつぶやきや、日常の出来事の記事や写真を見ると、なんだかホッとするんですよね。「あー、楽しそう」とか「わかる、わかる、その気持ち」とか、時に、一人PCの前で爆笑したりして。特にペットの写真ブログには自然と顔がほころんでいました。一瞬の癒しの時間になりました。
そういう意味ではインターネットがあって良かったと思う今日この頃です。
仕事に関しては、特許翻訳のチェックの仕事を受け始めたことが今年のささやかな新しい展開でした。研修中の厳しいフィードバックには何度も打ちのめされ、提示されたチェック料の安さに愕然としました(笑)が、実際の仕事に入ると、これまでに受講料を支払って受けたどの翻訳講座やセミナーとは比べものにならないほど得ることが多くて気が引き締まりました。
翻訳の仕事を始めて11年。初心忘るべからず。
と、今年を振り返っているときにラジオから流れてきたこの曲。
波長がぴったり!もう文章を書く必要がなくなりました(笑)
2015年が良い年になりますように!
「マダム・イン・ニューヨーク」@元町映画館
先月末から今月は、納期が厳しい大型案件を抱えているので、なかなか丸一日仕事をオフにすることはできないのですが、一回目の納品を終えた昨日、一息つくにはうってうけの映画を見てきました。
「マダム・イン・ニューヨーク」。初めてインド映画を見ました。
シンプルなストーリーに、主人公シャシを演じるシュリデヴィの美しさ、サリーを着たシャシが歩くNYの街の風景、”適度な”(「踊るマハラジャ」のような大エンターテインメント風ではない)歌と踊り、見ていて気持ちが良かったです。
シャシはビジネスマンの夫と2人の子供を持つ主婦。物質的には何不自由ない暮らしですが、夫や娘が何気なく無神経に放つ言葉に傷つき、妻であり母親であることの空しさのようなものを感じる日々でした。
そんなシャシが、ニューヨークに住む姉の娘の結婚式のため、家族より一足先にニューヨークに向けて旅立ちます。
英語を話せないシャシにとって、はじめての飛行機、空港の入国審査、NYの街角のカフェ、地下鉄の改札口、電話をかけること、すべてが緊張の連続。
優しく手を差しのべてくれる人はいても、不安、心細さ、困惑、そして、言葉がわからないことでぞんざいな扱いを受ける辛さ、疎外感にうちひしがれます。
言葉の通じない異国で一人で行動しなければならないときのあの気持ち。。。私自身も経験あることで、うんうん、わかる、わかる、と共感できる場面がたくさんありました。
ふと目にした英会話学校の広告。シャシは家族や姉に内緒で4週間のクラスを受講する決心をします。
いろいろな国から来た楽しいクラスメートと先生。
ここがシャシにとって、失われつつあった自尊心を取り戻していく場になっていきます。
最初の授業での自己紹介のとき、シャシが料理が好きでときどき頼まれてお菓子のケータリングもすることを話すと、先生は「entrepreneur (起業家)」という単語を黒板に書きます。シャシにとってささやかな主婦業の一つとしてやっていたことが、「entrepreneur」にも値するようなことであると初めて認められたような嬉しさをかみしめます。
また、冠詞の使い方をよく注意されるシャシは、「India (インド)にはtheがつかないのに、なぜ、United States of Americaにはtheがつくのですか」と質問します。先生にもクラスメートにも「いい質問だね」と言われ、ちょっと嬉しくなったり。
(*私も冠詞は今でもよく迷うところ。映画の中では説明されていなかったので、一応、文法書を調べてみました。国名は一般に無冠詞であるが、「of~」の限定がつくもの(the People's Republic of China 中華人民共和国)、複数形(the Netherlands オランダ)の国名には the がつく、となっています。この機会に、久しぶりに開いた文法書の冠詞の章にざっと目を通してみましたが、やはり難しい...)
(映画に戻って)ますます英語の勉強に熱が入るシャシは、勉強のために見ていたDVDの中で俳優が発する「judgmental(決めつける)」という単語が気になります。姪っ子に尋ねてこの単語の意味することを知り、心に刻みます。
英語、クラスメートとの触れ合いを通して、シャシは、人それぞれ価値観は違うこと、自分に誇りをもつこと、人を決めつけてはいけないこと、お互いに尊重することの大切さ、そして自分にとって大切なものが何かを確信していきます。
そして、授業の最終日と重なった結婚式でのシャシの感動的な英語のスピーチ。
自分を知ること、人を尊重すること、広い世界を知った上で小さくても自分の世界を作ることの幸せ・・・といったメッセージを私も受け取りました。
この映画のすうーっと心におさまる ”正しさ” ”安心感”が、疲れた頭には心地良かったです。
そして、なんといっても、女性の弱さと強さと優しさと美しさを、さらりと演じているシュリデヴィ。 いい女優さんだなぁと思いました。
さて、元町映画館では、映画の中でシャシが結婚式のために作るお菓子「ラドゥ」が販売されていました。インド人シェフが作ったものだそうです。
サクサクで、手で割るとすぐにパラパラとくずれました。
砂糖の甘さと、スパイスの香りが効いています。沖縄のチンスコーにちょっと似てるかな。おいしかったです。
元町映画館は、メジャーな作品ではないけど評価の高い作品や芸術性の高い作品などを上映しているミニシアター。これまでに何度か行きましたが、昔からの店が建ち並ぶ元町通りの雰囲気に溶け込んだ味わいのある映画館です。
ホームページをみてみると、
「地元の映画ファンに、多様な映画を見る機会を少しでも増やしたい、との想いから、映画館経営の経験も無い、資金も無い素人集団が・・・壁や天井のペンキもボランティアを募って みんなで塗り、床のカーペットもみんなで敷きました。・・・わたしたちは、お金もうけをするつもりでこの映画館をつくったわけではありません。そもそも映画館はみんなのもの、公共性をもったものであるべきだと思っています。」とあります。
あー、まさに!
手作りの宣伝チラシや、スタッフの方々の観客誘導などのきめ細かい対応からも、純粋に良い映画を観てもらいたいという気持ちが感じられます。
他館と同様の料金割引デーのほか、当館独自のポイントカードによって5回につき1回無料で見れるというサービスまであります。
次回は、割引デーではなく、通常料金の日に行こうと思います。
「ぼくの伯父さん」@元町映画館
元町映画館で7月5日~18日まで「ジャック・タチ映画祭」が催されていました。
1907年パリ生まれのジャック・タチ監督は、フランス初のカラー撮影、70ミリフィルムの使用、ビデオカメラ撮影、音声トラックのミキシングなど、常に最先端技術を使って独自の世界観を作り上げ、また、自ら俳優として映画に出ています。
「ジャック・タチ映画祭」は全国各地で順次開催されていて、タチの制作当時の意図を忠実に再現するために入念な資料の読み込みが行われてデジタル復元された6本の長編作品と短編作品が上映されています。
私は、つい数日前に神戸での開催を知り、かろうじて「ぼくの伯父さん」と短編「家族の味見」を見ることができました。
「ぼくの伯父さん」(1958)は、第31回アカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞し、世界的にヒットした作品で、鮮やかなデジタル復元版で観ることができて良かったです。
タチ監督は、この「ぼくの伯父さん」の後、パリ東部に「タチ・ヴィル」という近未来都市を建設して総制作費15億フラン(約1000億円)を投じて「プレイタイム」(1967)という大作を撮影したものの、興業的に失敗して破産したということ。なんとも豪快。その「プレイタイム」もぜひいつか観てみたいです。
で、「ぼくの伯父さん」ですが、短編喜劇を集めたようなクスクス笑えるシーンに、高度経済成長の時代に対する風刺が軽妙に効いた、面白い映画でした。
プラスチック工場の経営者を父に持つ少年ジェラール。その母親の兄が(ジャック・タチ演じる)ユロ伯父さん。少年の家は超オートメーション化された邸宅で、この邸宅内のいろいろな「機械仕掛け」とそれを使う人の滑稽さが笑わせてくれます。一方、ユロ伯父さんは、無職で、下町のアパートで一人暮らし。何をしても要領が悪く失敗ばかりですが、ジェラール少年や町の人達に愛されている存在。
このユロ伯父さん、お見合のために開かれたガーデン・パーティや、働き始めた工場でいろいろやらかします。うっかり壊してしまったものを修復しようとしてまた別のものを壊してしまうといったドタバタ。
世の中のリズムに乗れず、空回りするユロの姿は、「モダンタイムス」のチャップリンと重なります。
また、他の登場人物の所作もどこか可笑しかったです。特に、ハイヒールをはいた社長秘書の歩き方。膝を曲げずにロボットのようにチョコチョコと社内を動き回る姿は私のツボに入りました(笑)。なんとも愛嬌があって、可愛いい。
洒落てて印象に残ったシーンもたくさんあったのですが、ユロ伯父さんがアパートの入口から最上階の自分の部屋まで階段や通路を歩いて移動する様子をアパートを正面にして固定したカメラで撮影しているシーンもその一つ。通路の窓越しにユロの上半身や脚がときどき見えるだけなのですが、見えない部分、他の住人と出くわしたときの互いの表情などが自然と想像で補えるんですよね。
エンディングでは、変わりゆく街の風景がさりげなく映されていて、ユロを見送った後の父と息子がかわす軽いやりとり、そして、冒頭にも出てきた数匹の犬がまた街の中を走りまわる様子が趣のあるシャンソンと共に流れます。
サラリとしたエンディングですが、いろんなことが集約されていることをジワジワ感じさせてくれました。見事。
元町映画館の2階の休憩場。ミニシアターの手作り感が素敵。
「応挙と円山四条派」@香雪美術館
久しぶりに展覧会に行ってきました。
御影の香雪美術館で開かれている「応挙と円山四条派」展。
前期(5月24日~6月22日)の「鯉」をモチーフにした作品に代わって、後期(6月24日~7月27日)では「孔雀」をモチーフにした応挙、応挙の長男の応瑞、そして応挙の影響を受けた森狙仙の作品を見ることができました。
応挙と応瑞の孔雀図を見比べると、応瑞は非常に忠実に応挙の画法を引き継いでいることがわかります。
また、円山応挙(1733~1795)の弟子が「円山派」、そしてその門下が「円山四条派」と称され、応挙が近現代の日本画に与えた影響は大きいのですね。
応挙と言えば「幽霊図」が思い浮かぶのですが、今回、掛け軸が1点展示されていました。
ひゅ~っとした、足のない幽霊。幽霊であることを表現するために、掛け軸の枠も下半分は描かれておらず、頂上部の帯が1本だけ(通常は2本?なのでしょうか)描かれているという説明書きがありました。
さて、今回見た展示品の中で私のお気に入りは、この「菜花遊猫図」です。
後期展示作品は全部で30点ほど。ゆったりと、1点1点をじっくり見ることができました。
香雪美術館は朝日新聞社の創業者・村山龍平(むらやま・りょうへい)の蒐集した美術品を所蔵する美術館で、国指定重要文化財の旧村山家住宅の敷地内にあります。
旧村山家住宅は公開されていませんが、美術館の前の庭や外の石塀など良い雰囲気です。
小津安二郎~隠された視線~
2013年12月12日にNHK BSプレミアムで放送された「小津安二郎・没後50年 隠された視線」が面白かったので記しておきます。
初めて小津安二郎監督の作品をみたのは、つい昨年のこと、これもNHKで放送された「東京物語」(1953年製作)でした。
無駄な言葉をすべて排除したようなセリフ、激しい感情表現を極力抑えたような俳優の演技、ローアングルの「定点観測」の映像。
話の筋は特に驚くような大事件が起こるわけでもなく、登場人物の淡々としたセリフ、演技が続きます。
最初は、私が見慣れている最近の映画とはまったく異なる俳優の演技やカメラワークに、好奇心と同時に違和感も覚えつつ見ていました。
ところが、次第に登場人物それぞれの人間性がジワジワと浮き彫りになっていき、引き込まれていきました。見終えたときには、その不思議な味わいが心に残り、他の小津監督作品も見たいと思いました。
その後、「秋刀魚の味」を含む比較的後期の映画をいくつかネットで見ることができました。淡々としたセリフと、定点位置のカメラワーク。同じ俳優が出ていることも多く、映画から受ける印象は同じでした。
作品のテーマは、日常の中での親子の関係や結婚など。時代は違っても普遍のテーマ。
年老いた親と、それぞれ仕事や家庭を持った子供たちの間に流れる微妙な空気、感情のすれ違い、孤独が伝わってきて切なくなります。
それでも、決して悲観的、絶望的な気持ちにはならないのは、登場人物それぞれの年齢、立場ゆえに発せられる”正直な”セリフ、発する言葉はきつく聞こえても根底に流れている情愛が感じられるからかもしれないと思いました。
このドキュメンタリー「小津安二郎・没後50年 隠された視線」では、さまざまな角度から小津作品の魅力の「謎」に迫っていました。
吉田喜重監督は、「当たり前のこと、普通のことを描いている。人生は残酷であり、それに耐えていかないといけない。決して優しさを描いたのではない」と言っています。
女優の香川京子さんは「監督は世の中の流れにはあまり興味がないとおっしゃっていました。人をちゃんと描けば世の中のことは自然に見えてくる、と」
特に作品の映像についての解説が興味深かったです。
小津監督が映画の世界に入った頃はサイレント映画の時代。
そのため、監督は映像を大事にし、各画面を細部まで完璧に仕上げたといいます
映画「彼岸花」の中の”赤いヤカン”。
話が進むにつれてヤカンの位置が変わっていきます。
映画「お早う」では、ちゃぶ台に置かれた”赤いお椀”。
画面が変わるたびにお椀の位置が変わっていることがわかりました。登場人物の誰かが動かしたという設定ではなく。
監督が画面のつながりよりも1枚1枚の画像の完成度を重視したからだろうと推測されています。
また、「見せることではなく隠すこと」で観客の創造力を活かすという手法も多く使われています。
例えば、「東京物語」の中では、長男の医院や長女の美容院の外観は見せずに看板だけを映す。東京見物に行った老夫婦がビルの階段から景色をながめている後ろ姿だけを映して東京の景色は一切見せられていません。
観客が創造力で隠されている部分を補うことで作品の深みが増すのかもしれません。
私はますます小津作品、特に映像作りに興味が湧き、これから他の作品を観ていくのが楽しみです。ストーリーよりも小道具とか「赤」を追ってしまいそうです。
「彼岸花」
「お早う」
豪華客船「ノーティカ号」からビキニ環礁を想う
2月28日~3月1日、客船「ノーティカ号」が中突堤B/Cバースに接岸しています。
香港-基隆-那覇-神戸-広島-上海-ソウル-大連-天津のクルーズ「Pearls of the Orient」(16泊17日)。
「ノーティカ号ってどこの船だろう?」という疑問。ちょっと調べてみました。
運航会社はオーシャニア・クルーズ社(本社米国)。
1998年建造、総トン数30,277総トン、全長181.00m、旅客定員640名。
船籍はマーシャル諸島。
マーシャル諸島・・・
で、「マーシャル諸島ってどのあたりかな?」という疑問。
ここ。太平洋の真ん中あたり 。
首都はMajuro。(地図の右下)
地図の中央少し左上に Bikini(ビキニ)環礁。
そう言えば・・・今日のニュース。
以下NHK NEWS WEBより抜粋。
「ビキニ環礁の水爆実験から60年。
アメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で、日本のマグロ
漁船第五福竜丸」の乗組員が被ばくしてから1日で60年となりま
す。
1954年3月1日にアメリカが太平洋のマーシャル諸島にあるビ
キニ環礁で行った水爆実験では、広い範囲に放射性物質を含んだい
わゆる「死の灰」が降り注ぎ、静岡県焼津市のマグロ漁船、第五福
竜丸の乗組員23人が被ばくしたほか、ビキニ環礁の周辺に住む島
民も数多く被ばくしました。
被ばくした島民の中には甲状腺の異常など、今も健康被害を訴える
人たちが少なくありません。
また、放射性物質で汚染された島のうち、ビキニ環礁からおよそ
200キロ離れたロンゲラップ島では、除染作業をしたうえで現在
は住宅の再建などの復興作業が進められていますが、放射線への不
安は消えておらず、島民の帰還は今も実現していません。」
ビキニ環礁は、広島の原爆ドームに続き、核兵器の惨禍を伝える「負の遺産」として2010年に世界遺産(文化遺産)に登録されています。
アメリカが1946~1958年の間に67回核実験を行ったということ。
珊瑚礁の豊かなこんなに美しい場所で。
アンドレアス・グルスキー展@国立国際美術館
ドイツの現代写真家アンドレアス・グルスキー(1955~)展に行ってきました。
アンドレアス・グルスキーの写真を観たのは初めてでした。
鑑賞前の予備知識として興味を持ったのは、《ライン川 II》がクリスティーズのオークションで約433万ドル(日本円で約3億4千万円)で落札されたということ、そして、様々なデジタル加工を施して作品が仕上げられている、画面全体にピントが合っているように処理されているということでした。
実際に作品を見るとまず、俯瞰する位置から撮られた、一辺が2~3 m以上もある巨大な写真に圧倒されました。
被写体は、空港の電光掲示板、カミオカンデ、99セントの商品が並ぶスーパーマーケットの陳列棚、ファッションショーの舞台、四角い窓が並ぶ巨大なアパート、ベトナムの椅子工場、ツール・ド・フランスのレースコース、大聖堂のステンドグラス、南極、オーシャンなど。
一見、無機質に見える画面を見渡しているうちに、その中に小さく小さく写っている人間一人一人の姿に目が留まります。
工場の中、証券取引所の中、アパートやオフィスビルの窓の中に。
そして、F1のピットのメンテナンス作業を上から見下ろす観客、ファッションショーのステージを無表情に行き交うモデルの背景の観客。
99セントの商品が並ぶ陳列棚の間にいる客の中に仮面をかぶっている人も発見。
人が写ってはいるのですがあくまでも被写体の一部であって、画面全体の異様な空間の要素のように見えました。
面白かったです。
写真を使った画家とも言われるように、作品は抽象絵画のようなアート作品として高値で取引されているんだなぁ、と納得しました。
大阪の国立国際美術館で5月11日(日)まで。
≪カミオカンデ ≫
2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏が考え出したニュートリノを検出するための装置、スーパーカミオカンデ。右下にボートに乗った人が写し込まれていることで、装置の巨大さに圧倒されるとともに、岐阜県飛騨市の地下1000mにこのような施設が実際に存在するのかと思うとなにかしら恐怖のようなものも感じます。